ヴィオラ日記3

ブラームス等についての軽い想い

 ドイツ音楽の伝統の系譜として、三大Bという言葉を学校で習った記憶があります。バッハ、ベートーヴェン、ブラームスですが、何故B?、モーツアルト、シューベルト、シューマンはどうなのかと、納得がいかなかったのですが、確かにそれぞれに心に痕跡を残した作曲家ではありました。

 

 バッハは一時、そのカンタータ(独唱、合唱と小オーケストラによる主として教会での音楽)専門に演奏するアマチュアアンサンブルに在籍し、数学的な構成から、ジャズや現代音楽にも引用され続ける心を掴む旋律までの膨大な作品に聞き惚れていました。

 ベートーヴェンは、交響曲はもちろん、弦楽器奏者にとっては、弦楽四重奏曲の完成者として近寄りがたい作曲者の一人と感じるのです。特にその後期の弦楽四重奏曲は、アマチュアで演奏するには、十分な演奏技術か、楽天的自信かを持ち合わせていないと、なかなか取り組む気にはなれません。

 そしてブラームスですが、先の二人は間違いなく巨人的職人と芸術家と感じますが、彼は職人的技術と芸術的感性に溢れているのですが、音楽史の中で、革新的或いは総合的な仕事をしたという印象はあまりありません。むしろ自殺したシューマンの、夫人クララとの純愛との関係で語られることが多いかもしれません。そして音楽は革新というよりは年代からみれば保守的な形式を纏っています。 しかし、音楽史の中で何を成し遂げたかを知る以前に、その室内楽や交響曲の、旋律以外のところで成される音楽的快感は聞いていても、更に拙くとも演奏してみると、それまでの誰の音楽にも感じられない悦びを感じてしまうのは、私だけではないと思います。もちろん旋律も魅力に溢れていますが。彼は、その時代からか、才能と風貌からか、前2者とは異なり、宗教的、芸術的というよりも人間的で、生涯多くの女性たちに憧れ、憧れられていたようです。


でも本当の心の底では、やはりただ一人だったのでしょうか。